嬉野のお茶を使った洋菓子をみんなに知ってほしい 末廣屋菓子舗 3代目 富永正樹さん

嬉野温泉駅から徒歩10分程の国道34号線沿いにある末廣屋菓子舗は昭和8年創業で現在の武雄市にある楼門近くで祖父が開業した。武雄では3~4年程お菓子作りをしたが、出身が嬉野でもあったため嬉野に戻り今の場所に店を構える。現在の店主、富永正樹(とみなが まさき)さんで3代目となり、奥様と力を合わせ日々お菓子作りを営んでいる。今回は店主の富永正樹さんにスポットを当ててみた。

富永さん:幼少の時はシーボルトの湯にはよく行ってましたね。そこに川があって、ちょっと掘ればお湯が湧いてましたね。あと友達と、とりもちを使って野鳥を捕ったりしてましたよ。今は危ないてのもあるし、最近の子供たちはそういうことはしないんじゃないかな。最近はほとんど携帯とかですもんね。学校でも社会や地理などの暗記するような科目は得意と言うか好きでした。反対に嫌いだったのは理数系。計算。嫌いでした。(笑)武雄高校時代に文系と理系に分かれるんですけど、やっぱり友達は文系の人ばっかりで理系の人とは合わんて言ったら失礼ですけど、本当友達は文系やったです。あと商売人の息子っていうことで店の事を手伝わされてましたね。はっきり言うて嫌やったですね。小学校へ登校する時も友達が迎えに来るまでの間に卵の移し替えの作業させられたり冬は本当に卵が冷たいんですよ。その手伝いが嫌でしたね。学校から帰ったら帰ったで洗い物が溜まってるし父は厳しかったので帰ってくるなり洗い物ばやれって感じでした。私は3人兄妹で妹が2人いますが父も妹達にはあんまり言ってなかった気がしますね。でも自分も子供に対して客観的に見ると娘にはあまいかなぁ(笑)自分が幼少期にそういう経験をしてきたんで自分の子供たちには手伝いとかは極力させなかったですね。継がせようとも思わなかったし、商売人の子供というプレッシャーを与えたくなかった。とにかく自分は商売人の息子ってことで店の手伝いはかなりやらされましたね。

大半の人は家業がある家に生まれるとその家業を継ぐと思うだろうが、幼少期の富永さんはそうではなかった。

富永さん:将来お菓子屋さんになりたい!ってのはなかったです。何でお菓子屋の子に産まれたのかなぁみたいな感じで。私はずっと部活動で剣道をやっていたので剣道を活かして警察官になりたいなと思い、試験なども受けたんですけど家族の反対もあり、あーもうしょうがないなみたいな感じだったんですけど。剣道は警察官にならなくても続けられるし、父の想いとの葛藤とかもあったので。お菓子の道に進むことを決めました。

警察官への道からお菓子職人の道へ。東京で修業をし嬉野に戻ってきたが、父への反発心や葛藤。今に至るまでの道のりも決してスムーズなものではなかった。

富永さん:やるからには自分のお菓子で勝負したいという思いが強かったです。そっくりそのまま受け継いでも、それは祖父と父のお菓子でしかないし、世間の評価は得れない。代替わりをしたら味が変わったと言われると思ってたんで。嬉野では作ってないお菓子を作りたいという信念はずっと持ってました。今は全国にあるんですけど、その当時はお菓子だけの専門学校ていうのが東京に2件しかなくて、私は高校を卒業して世田谷にある日本菓子専門学校というところに2年間行きました。卒業後は東京のお菓子屋で修業を3年させてもらったんですけど、洋菓子の焼き菓子を勉強させてもらったので焼き菓子の中でも、この❝ふりあん❞というお菓子をいつか嬉野のみんなに知ってもらいたいという想いで修業をしてきました。一般的にフィナンシェていうお菓子なんですけど東京では真四角の形をしていて、ふりあんと呼んでたんですよ。修業をしていたときはプレーン味の1種類しかなかったんですけど、嬉野に帰ったらとにかく嬉野のお茶を練り込んで作りたいという想いをずっと持ってました。それから23才の時に嬉野に帰ってきました。

富永さん:東京から帰ってきたときは祖父も父もまだ現役でお菓子を作ってて元々は結婚式の引出物に使う、和菓子の羊羹とか鶴亀のねりきりなどそういった冠婚葬祭用の引菓子とか和菓子のまるぼうろを作ってました。父には代々作ってきたお菓子を息子に継がせたいという想いがあり、私は私で東京で勉強をした自分のお菓子で勝負したいという想いでしたね。父が思う通りに受け継ぎたくない、負けたくないという反発心が強かったのでいろんな葛藤もあり、ケンカしながらって感じでしたね。今は認めてくれてると思うんですけど。職人気質な父だったので息子には負けんぞみたいな感じで。本当に働き者で自分が朝起きると工場の電気がついてオーブンの開け閉めをするバタンバタンという音がしてました。早朝に起き一仕事終えて朝ごはんを食べてまた仕事をするって感じで。

これまでの味を引き継ぐのではなく、新たなモノで勝負する! 皇室献上菓子 嬉野銘菓 ひき茶ふりあん

富永さん:食べ物商売て言ったらお菓子に限らずラーメンやお寿司でもそうなんですけど代替わりをしたときに、いくら同じように作っても、お客さんは味が変わったねてしか言わないんですよね。先代のお菓子も大事だったんですけど、父のお菓子をそっくり受け継ぐよりも自分は自分のお菓子で評価を得たいという考えでずっと作ってました。でも出した当初は本当に見向きもされんやったですね。やっぱり今までの末廣屋というイメージが冠婚葬祭用の和菓子とかまるぼうろの印象が強かったので洋菓子の焼き菓子を作っても1日20個売れてるかなって感じやったですね。でも自分は修業時代から絶対この焼き菓子を自分のものにして嬉野でヒットさせるぞて思ってやってましたので。今は1日1,000個焼いてるんで、皆様にも認知していただいていると思います。

富永さん:ただ祖父と父がこの末廣屋という店舗としての土台を作ってくれたことに対しては 本当に感謝をしてます。いろいろ対立はあったんですけど、その土台があったんで今こうしてお菓子づくりが出来るし家族には本当に感謝をしています。末廣屋菓子舗という名前も祖父がつけた名前で創業が昭和8年で末広がりというとこからきてると思います。私もメールアドレスには8の数字を入れてます。

富永さんも小・中・高と剣道を習ってきて、指導者の立場で携わっていたことも。 会話をしている時も優しそうな富永さんだが、剣道で培ってきた芯の強さのようなものを感じた。

富永さん:その当時小学校でクラブ活動と言えば剣道か野球しかなかったんですよ。野球が結構人気があって、野球をしてもレギュラーになるのは難しいだろうし剣道やったら人数もそんないないし、やっていけるかなぁっていう感じで始めました。でも剣道をしてきたおかげで身心ともに鍛えられ、修業時代も屈することなく絶対負けないぞっていう気持ちは剣道やってたおかげで、やっててよかったと思います。特に高校の部活はきつかったね。かかり稽古はフラフラになるまでやってたし、水は飲むなぁとかね。その時は3Kクラブて言ってキツイ、キケン、クサイてのがあったんですけどいろいろと本当に鍛えられました。自分が指導者として関わっていたこともあって、息子も一度行ってみたいと言ったので練習に連れて行ったんですけどまぁ何と思ったか、サッカーをすると言ったんで、まぁよかたいねって感じで。娘にもさせたかったんですけど、妻から大反対され吹奏楽部に入ってました。

ひとつのお菓子に込められた、たくさんの想い。 嘉東嬉野とは

富永さん:新幹線駅開業前にイベントがあり、新たなお菓子をどうですかという話があったので今まではひき茶ふりあんをメインで製造・販売してたんですけどそれに代るような新たなヒット商品て言ったらおこがましいですが考えたいなと思って、それを作るにはやっぱり嬉野はお茶の産地なのでやっぱりお茶を使ったお菓子になってくると思いましたね。商品の開発・製作や商品名はすべて1人で考えてますし、名前を考えるのも面白かですよ。嘉東嬉野(ガトーうれしの)のガトーはドイツ語でお菓子という意味でふりあんはフランス語でおいしいて意味なんですよ。嘉東は当て字なんですけど佐賀県の賀の旧字『嘉』と東は東京で修業をしてきたので佐賀と東京を繋ぐという意味合いで同じお茶なんですけどこっちの方がもっと濃いお茶を使ってます。下はタルトで中がしっとりとした生地で表面に抹茶のチョコレートですね。新幹線も開業してゆくゆくはフル規格で繋がったらいいなという想いと、42~3年お菓子職人をしてるんですけど、段々年数を重ねてくると初心を忘れたりする時があるんで、東京でがむしゃらにお菓子の勉強をしていた時のことを忘れないようにという想いを込めて嘉東という名前をつけました。

40年の経験と職人の閃きがマッチして、人を感動させるお菓子ができる。

富永さん:なんかね。パッと閃くんですよね。考えて考えて作ってもなかなか商品にならないしパって閃いたヤツの方がなんとなくスムーズに進むかなって感じです。かと言って全部が閃きでやってる訳じゃないんですけど(笑)やっぱり品物を作るには何回も試行錯誤をして材料のプラスマイナスをしながら1つの味に辿り着くわけなんですけど。修業時代の基礎的なことからアレを引いたりとか、足したりとかすればこんな感じに出来るかなみたいなのは持ってますので。中のしっとり感をどうしようかなとか、チョコレートが掛かってるで夏場がどうしても溶けてしまうんで、そこらへんどうしようかなとかはありましたねでも名前はパッと閃いたんで、この商品でいこうて決まったのは3ヶ月くらいかな。

富永さんが作るお菓子はどのようにして生まれてくるものなのだろうか。 ホームセンターはアイデアの玉手箱!?

富永さん:お菓子作りに直接関係無いかもしれないですけどホームセンターとかに行くのが好きなんですよ。何でかて言ったら、お菓子作りに利用できるような物が結構あるですよ以前園芸用の種まきポットがあって、コレいいなと思って、ポットの中にチョコレートを塗って、1回冷やして、固まったらチョコレートの器が出来てケーキの一部として使ったりしてました。だからホームセンターをまわったりするのは好きですね。他にもいろいろ参考にしたいなぁていうのはあってこの嘉東嬉野もお茶以外にチョコレート味とレモン味があってチョコレート味の方には表面には岩塩を振ってるんですよ。それは何からヒントを得たか言うと同じお菓子職人でチョコレート専門の方がいらっしゃるんですけど その方はトリュフの上に塩をかけて、塩のキラキラ感と食べた時の甘じょっぱさとか塩によってチョコレートが更に引き立つ、そういう使い方をされてたのであっこれはいいなぁと思って、参考にさせてもらってます。

富永さん:新幹線が開通したので嬉野温泉にたくさんの人が来てくれたらいいなーと思いますね。温泉は昔から有名で自分たちが小学校の頃なんかは浴衣に丹前を着て下駄を鳴らして温泉街の歩く人が多かったですね。今は浴衣を着て歩く人はあんまりいませんけど、観光客は新幹線の効果もあってまた増えてるんじゃないですかね。うちの店にも駅が出来る前は車で来る方がほとんどで店の前の人通りも本当に少なかったんですよ。今はキャリーケースを引いて歩く観光客が結構いらっしゃいますね。嬉野はお茶と温泉と焼き物もあるんでお菓子作りにもマッチしてると思います。嬉野で菓子組合で会長してるんですけど、いろんなお菓子屋さんがそれぞれ店の特徴のあるお菓子を作られてますね。

『嬉野のお茶を使って自分のお菓子で勝負したい』修業時代からブレない気持ちがあったから今があるのだろう。 取材を通して職人が1つのモノに対する熱意や想いが伝わってきた。普段口にするモノをそこまで考えたことはなかったが、改めて作り手の想いも感じさせられた。今後も富永さんの作るお菓子が楽しみである。

アクセス情報

佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿甲4059-1(Google Map)

104 044 884*56

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