嬉野市の道の駅うれしのまるくにあるトヨタレンタリース佐賀嬉野温泉駅前店は 2023年8月29日にオープンした新店舗である。株式会社トヨタレンタリース佐賀の本社は佐賀市内にあり、県内に10店舗を構える企業である。開業は1979年でレンタカーやカーリースはもちろん、その他にも中古車販売、自動車整備、損害保険代理店、携帯電話代理店も行っている。
店長である山村悠二(やまむらゆうじ)さんは1985年、佐賀県唐津市生まれ。 現在も唐津市に住み嬉野まで通勤をしている。 少年時代の山村さんはスポーツや体を動かすことが 好きで小学3年の時にテレビで初めて見たマイケルジョーダンに憧れミニバスケットを始め今でも続けている。 小学6年の冬に父が急逝し、そのときは何か目標のようなものも失くした ように感じた。 それから母子家庭で育ち働く母親を横目に中学・高校はバスケットに熱中。高校は唐津工業高校に通い、3年生の夏に就職活動を始めるが いざ自分が何をしたいかとなったときに物作りや作業に興味はあったが 大きな夢やコレを作りたいという物も決まらず卒業も近くなり担任の先生の勧めもあり受験しトヨタレンタリース佐賀に就職することとなる。
一歩、一歩
県外へ出て進学や就職をする友人も多かったが、地元に残り就職の道を選んだ山村さんも初めは戸惑うことばかりだった。
山村:今までアルバイトの経験も無く、入社した当初は社会の右も左も分からない状況でただ上司や先輩からの指示を受け業務を覚えるので精一杯でした。正直、ビジネスマナーや社会常識なんかは無知でした。業務内容はレンタカー受付業務、洗車、電話応対がメインで配車や回収もしてました。元々、人見知りでおとなしい性格なので入社当時に一番苦労したのが電話応対です。配属になった唐津和多田店では地元企業の利用や保険代車の問い合わせが多く結構苦戦しました。「〇〇けど△△さんおるかな」や「〇月/〇日にいつものトラックば予約入れとって~」とお客さんの社名、名前、顔、声、よく使う車種などを覚えるのが大変でしたね。そして保険の代車に関しては確認事項が多く配車場所や詳細確認などの聞き間違えたりして 先輩に怒られることも。電話がなる度にドキッとして受話器を取ったら頭が真っ白になってましたね。それから数年して同じ唐津にある唐津駅通り店に異動になり、同じ唐津でも借りるお客さんの層が全く違い、ほとんどが県外の観光客やビジネス客でした。ここでは受付のやり方やお客さんとの会話などで和多田店とのギャップに戸惑いました。お客さんから「唐津の今の人口は?」とか「唐津でこの時間に行けるおすすめのお店は?」などを聞かれ 当時はレンタカー会社ってこんな事まで聞かれるんだと思ってました。
会話をすることの大切さ
それまで受付をする際も必要最低限の説明だけを淡々として、ほとんど会話をすることは なかった山村さんだが先輩スタッフがお客さんと楽し気に話しているのを見て、そのお客さんが初対面の人だと後で聞いたときは驚きやショックを受けた。
山村:受付をしている数分の時間でなぜあそこまで楽しく話せるのか。ごく普通の日常会話の中でいろいろな情報収集も出来ている。自分がこれまで受付をしてきた中でどれだけの情報を聞けたんだろうかとかですね。私もどっちかと言えば話すのは得意じゃないんですよ。誰とでもうまく話せる人っていますよね。すっごく憧れます(笑) そしてほとんどのお客さんが初対面なんで、緊張することもあります。仕事と割り切っている部分もありますけど、相手が人である以上は会話をしないと何も分からないし、始まらないのでやっぱり話すって大事だなって思います。多分お客さんの中には、この人なんでこんなこと聞くんだろうとか、何でこんなに話しかけてくるのて思われてまよね。
人と関わることや会話の大切さに気付かされ、仕事に対する考え方が少しずつ変わり始める。業務にもある程度慣れ、先輩の仕事ぶりや自分自身を客観的に見る余裕も出てきて お客さんの目線や立場で考えてみたりと日々試行錯誤を繰り返していると語った。
経験
小学3年からバスケットを続けてきた山村さん。 これまでも仕事に通ずることもあり、やっててよかったと言う。
山村:私が始めたきっかけは友達がしてたのもあるんですが、1996年のシカゴブルズ全盛期のマイケル・ジョーダンを見てなんやこれ!ってなって、通ってる小学校にもミニバスケットのチームがあったからです。しかもミニバスケットの監督がアメリカと日本のハーフの人だったんですよ。その当時はかなり衝撃で、素直にやっぱりバスケットはアメリカのスポーツなんだて思ってました(笑)でもちゃんとの唐津弁なんですよ。後から知ったんですが私の母の同級生でした。何かの縁なのかもですね。もちろん母からバスケットをしなさいとか言われた事はないです。最初の練習はかなりきつかったです。それでも辞めたいとは思いませんでしたね。決して上手ではなかったですよ。上手かったら今サラリーマンはしてない思います。単純に楽しかったんですよね。ただそれだけです。
いろんな選手の名言を今も覚えてて マイケルジョーダンの「目標を達成するには全力で取り組む以外方法はない。」
アレンアイバーソンの「体のサイズは関係ない。ハートのサイズが大切なんだ。」
仕事をするときの励みにもなってます。あと体力的な部分はもちろんなんですけど、チームワークとか出来なかったことができるようになったときの嬉しさや楽しみなんかはバスケットをやってきた経験が活きてるように感じます。
日々、勉強。
時代の変化と共にまわりの環境もいろいろと変化している中で 状況に応じて自身の考えや行動も変えなければならない事もある。 山村さんにとっての変化についてフォーカスしてみた。
山村:いやー早いですよ。なんでも。正直付いていけてないです。車ももう電気で動きますし、携帯電話もスマートフォンじゃないと生活が不便ですよね。学生時代雑誌を見て何かドキドキしなが電話で通販とかしてたのが懐かしいです。今じゃインターネットで画像や口コミを見て簡単に買えちゃうんで。レンタカーもそうですよ。私が入社した20年前とは全然違います。車はハイブリッド車の種類が増え、車種名を覚えるのも一苦労ですよ。まだまだ普及はしてないですが、電気自動車や水素エンジンの車両とか取扱方や操作方法に戸惑ってます。安心してください、まだガソリンやディーゼル車も取り扱いはしてますので。予約の取り方も今はほとんどがインターネットで入ってきますね。電話が鳴らないんですよ。さらに無人レンタカーです。予約、支払い、鍵の開閉。これ全部スマートフォンで出来るんですよ。お客さんに会えないんです。本当に時代の変化ってすごいです。毎日が勉強です。
やっぱり人
山村:でも結局最後に辿り着くのは人なんですよね。小学生の頃に先生から人を大切にと言われてたんですが、当時はいじめとか差別の部分でしか考えてなかったですよ。この仕事に就いて色々考えることが出来るようになった今ではやっぱり人との繋がりが 1番大切なんじゃないかと思います。いくら物が便利になっても伝える人がいなければ物の良さも分からないし、人を育てることが出来るのも人ですもんね。インターネットもAIも便利だし、これからも必要なのは分かってるんですけど それに頼り過ぎず、人との会話や関係を大切にしていきたいです。